亀渕昭信のロックンロール伝(号外)(布ヤンかと・・・)
スタジオ・ジブリの『熱風』で連載されていた亀渕さんの“ドーナツ盤に恋をして”が『亀渕昭信のロックンロール伝』としてヤマハミュージックメディアから出版されました。もう本屋さんには並んでいるとのことです。
私がポップス・ファンになった1962年には、亀渕さんは既に“送り手側”におられたわけで、私は送り出されるままを素直に受け取っていたリスナーでありました。亀渕さん、朝妻さん、木崎さん、皆さんによって“育てられた”のであります。
全員の認識の共通点は、
“until 1963 / from 1964”
ということですね。ロックンロール誕生からビートルズ登場以前が、
《BB(Before Beatles)》
以降が、
《AB(After Beatles)》
ポップス史は明確にここに“ライン”が引けます。ここまで私の《体験記》をツラツラ述べてきましたが、どれもがそれの個別の傍証となっていたはずです。
ただ、これは《断絶》ではありません。また“不連続”でもなく、前の“地層”の上にチョト離れたところから“火山灰”のように大量に飛んできて降り積もったのです。(下の“腐葉土”は豊潤でしたし、また同じ“火山帯”だったので“同質”の灰でした)
55年(或いは56年)の《ロックンロール誕生》時も同じような構造でしたが、あれはアメリカの“国内”で起きたことでした。64年は“英国”からの改革というのが“アメリカン・ポピュラーミュージック史”としては全く新たな現象でした。
亀渕さんが仰るように、確かにポップス史として語られるのは“64年以降が多い”と私も感じています。また“63年以前”ならお三方がおられます。私の役目は《63と64》の間がどう“繋がっているか”を明らかにすることではないかと、そう思っております。(時代の“変わり目”の混沌とした状況が好きなのです)
個人史としては、63年までは“第一部”、64年からは“第二部”、そして70年の《はっぴいえんど》が“第三部”でした。
《第一部》はこれにて“休憩!”。(再開は“例によって”未定)
8月末に予定されている亀渕さんとの対談が3・11以降の“初仕事”となります。これは『熱風』にて掲載予定です。
下は1966年12月、LAの“RCAスタジオ”での写真。亀渕さんと“エヴァリー・ブラザース”の2ショットです!
Kame & Everly 1966
私がポップス・ファンになった1962年には、亀渕さんは既に“送り手側”におられたわけで、私は送り出されるままを素直に受け取っていたリスナーでありました。亀渕さん、朝妻さん、木崎さん、皆さんによって“育てられた”のであります。
全員の認識の共通点は、
“until 1963 / from 1964”
ということですね。ロックンロール誕生からビートルズ登場以前が、
《BB(Before Beatles)》
以降が、
《AB(After Beatles)》
ポップス史は明確にここに“ライン”が引けます。ここまで私の《体験記》をツラツラ述べてきましたが、どれもがそれの個別の傍証となっていたはずです。
ただ、これは《断絶》ではありません。また“不連続”でもなく、前の“地層”の上にチョト離れたところから“火山灰”のように大量に飛んできて降り積もったのです。(下の“腐葉土”は豊潤でしたし、また同じ“火山帯”だったので“同質”の灰でした)
55年(或いは56年)の《ロックンロール誕生》時も同じような構造でしたが、あれはアメリカの“国内”で起きたことでした。64年は“英国”からの改革というのが“アメリカン・ポピュラーミュージック史”としては全く新たな現象でした。
亀渕さんが仰るように、確かにポップス史として語られるのは“64年以降が多い”と私も感じています。また“63年以前”ならお三方がおられます。私の役目は《63と64》の間がどう“繋がっているか”を明らかにすることではないかと、そう思っております。(時代の“変わり目”の混沌とした状況が好きなのです)
個人史としては、63年までは“第一部”、64年からは“第二部”、そして70年の《はっぴいえんど》が“第三部”でした。
《第一部》はこれにて“休憩!”。(再開は“例によって”未定)
8月末に予定されている亀渕さんとの対談が3・11以降の“初仕事”となります。これは『熱風』にて掲載予定です。
下は1966年12月、LAの“RCAスタジオ”での写真。亀渕さんと“エヴァリー・ブラザース”の2ショットです!
Kame & Everly 1966